2009年11月21日土曜日

感情選びは生き方えらび

アメリカ人はうわさ通りとても感情表現が豊かです。 時々 アメリカ人の友達が ほんの小さなことが気に障って ぶちぶち言い出すと “こんなことに神経を使って疲れるやろなー、と思うことが度々です。


今日は ハニーはレコーディングスタジオで 有名な作曲家の撮影をマガジンの為に撮影。その際 ミーハー な私は アシスタントとしてお手伝いしたので ハニーは ご褒美に 撮影の後 ベンチュラ大通りのレストランに昼食に連れて行ってくれました。 のんびりとイタリア料理を食べたあと ハニーと車に向かうと 反対の道路に駐車してある車のなかに据わっている男の人が 中指を立ててじっとこちらをみているのです。

ハニーは “なんでこっちに中指を立ててるんだ!”
かず “知らんわ。 中指が骨折して曲げれないんじゃない?”
ハニー “なんて失礼なやつだ!”

ハニーと私は これでこの不愉快体験話は解決。 次の会話に移ります。

しかしほとんどのアメリカ人でしたら ぶちぶちお経の始まりになるでしょう。

今晩 グレッグ、アンナ、豆吉と4人で芝居を観に行きました。  その際 話しに出てくるのは 3日ばかり前にあった ちょっとした人間関係の衝突の話し。 1人劇団のメンバーで癇癪をおこした人がいるのですが 過ぎたことなんだからもういいじゃない、と豆と私は思っています。しかし、2人は “そうよ、君らが行ってることは一理ある”といわれたいのが 文句たれたれ。 ネガティブなことは聞きたくないデー、といってやりました。

文句を言っている人を見ると毒を吐いているような気がして近くに寄りたくなくなります。 私は 腹が立つたびに こんなくだらないことに気を取られる必要はない、自分の感情くらいコントロールできないで 大人といえるか、とカツをいれます。  親離れの早かった私は自己躾するくせがあるようです。

好い感情、好い気分を保てば 好い人生は保障されます。 辛いことは誰にもあること。 でも いやな感情は自己消化して 他人様に 伝染しないようにしましょうね。

2009年11月12日木曜日

健康が何よりも大切!

何を隠そう 実は幼いころ私は病弱だったのです。 ま、軽い喘息と 低血圧くらいでそんなに深刻ではなかったのですが、おかげで本当にいまの健康が何よりも有難く思います。

季節の変わり目、また飛行機での移動や 環境変化に影響されるのは 何よりも ”声”。 私にとっての唯一のツール、商売道具さまです。朝起きて 声がガラガラだったりすると ハラハラしてしまいます。 

今朝、おきると声が出ずドッキリ。いまロスはとっても乾燥していているので 水嫌いの私はすぐに 声に出てしまいます。 でも ゲッティーに行く前に 紅茶を飲んで何とか回復。
しかし よる年波を感じるのは 回復が遅くなっていることを実感するときです。

先月 ニューヨークでの セールスセミナーの際、200人を 前に 素声で6時間話し続けました。 LAからNY入りしたのは前夜遅く、時差で眠れず4時間ほどの睡眠で会場入り。豆吉なしのセットアップのPAシステムはあまり好ましくなく、舞台で動くたびに キーンと音がしてしまうので マイクなしでセミナーを実行。セミナーがおわり 夕方のプライベートのセッションの時には がま蛙になってしまいました。 (ゲロゲロ-声と内心)

それから 完全に私の声は回復していないようです。  昔だったら 食べて寝れば翌日には オロナミンCなしでも 元気いっぱいになっていてんですがねー。

若い時は 当然と思ってしまうスタミナ。 無駄にしちゃいけませんよ。 

2009年11月5日木曜日

寝るのはソンソン、典型的な水曜日

毎週水曜日朝10時から昼の2時まで ゲッティーミュージアムでドーセントとしてボランティアをしています。

昨日は 家にお客さんが泊まっていたので 6時半に起床、7時に近所のレストランで食事を済まして ゲッティーに向かいました。 
ノースハリウッドに住んでいたころは 朝9時に家を出れば 9時45分の会議には間に合っていたのですが シャドウヒルズに引っ越してからは 8時15分に家を出ています。 90分の渋滞の間は、IPODで ナショナルパブッリクラジオ番組 THIS AMERICAN LIFEを 聞いているのであっというまにすぎてしまいます。

ミーティングの後、早速 朝から アソシエーション・オブ・プリザベーション・テクノロジーの建築家、デザイナーさん、復興科学の学者さん35人に ゲッティーセンターの建築ツアーをしました。 建築のプロの皆さんにこんな青娘が エラそーにツアーをするのもなんだとおもい、ゲティーを建てた建築家リチャード・マイヤーを中心としたトリビアインフォでまとめたコメディーツアーにしてしまいました。 ゲティー側にばれたらまずいか?

2時にもう1本スクールツアーを終え、またバレー (山を越えたサンフェルナンドーバレーという丘側に私は住んでいます)に戻り 3時に 日本語の個人レッスンを教授のおじさんに教えたあと、 ノースハリウッドのオフィスに戻り、ちょっと 豆とコーヒーブレイク (休息は大切ですよ、みなさん!)、その後 ちょっとアクセントリダクションをメイちゃんにプライベートで教え、7時半に ありがと会の皆さんと 芳一プロダクションのだめだし。  。 この会はみんなまじめでいい人たちに恵まれつつ 個人個人に芯があるので 長続きしたら必ず大きくなるなるな、と思いました。

その後、友人と ブリティッシュパブ ロビンフッドで 軽く夜食とビール (ギネスです!)。

家に帰ったのは 夜の1時。 ハニーはすでに寝床していたので、静かにシャワーを済まして、 本を読みながら2時ころには気絶したように寝着きました。

2009年11月1日日曜日

耳なし芳一、成功だい!


ありがと会製作”耳なし芳一”、2日間夜の11時30分公演、無事に終了しました。 四谷怪談ではないので呪われる心配はないと思いつつ 一応 キャストとスタッフは リトル東京の高野山まで 御祓いに1週間前にいっています (豆と私はセドナのため欠席)。”平家ののろいがあるんだよ” と脅されたりしましたが 私にしては、アメリカで対戦話を伝える機会があって お化けもよろこぶんじゃないかなー、と思います。 忘れられてしまう、というのが人間にとって怖いことでもあるんですよね。

アメリカで時代物をやるというのも難しいもので、オーセンティックでありつつ エンターティニングでなければいけません。 字幕があるので、あんまり動きすぎ忙しい舞台にしてしまうと お客様が字幕を読んでいる間に見せ場を逃してしまうということもありがち。 幸い日本人は動作が優雅なので それを生かし ゆったりと流れるような作品になりました。

リハーサルは12回くらいでしたでしょうか。 寺男のヤス君とまきチャンは 衣装稽古から参加。 でも チームワークの土台があると本当にやり易い。 劇団があってよかった、とおもいます。 これが一発劇だったら 最低でも 3ヶ月は必要だったでしょう。

母と母の友達のマツダタカトさんに書いていただいた脚本は (1日で書いたらしいです)、実はこれまたギリチョンまで 英訳する時間がなく 本番二日前に豆吉に字幕製作の為に渡しました。  わるい監督だねー。 ごめんね豆吉!

ちなみに琵琶は マイハニーに造ってもらいました。 これまた詳細は後ほど。

みんな手作りなので 怖いけど暖かい作品。 また公演したいですね。

またまた成功。万歳だ。